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深夜のクソポエム(準備稿

 わたしたちが自由と呼んでいるものの正体がなにかというと、乱暴な言いかたをすれば失敗する自由であり、故障する自由であり、破滅する自由であり、死ぬ自由なんですよね。失敗しない道の中でだけ、どれでも自由なものを選んでいいっていう話なら、それはもう自由ではないわけで、どれだけ分の悪い選択に自分の身を任せられるか、というのが自由であるということですから。  そういう意味で、あなたは最大限に自由を擁護する立場であり、わたしのほうが抑圧的な立場である。保守的である、みたいな堅苦しい言い方をしてみてもいいけれど、実のところ、たんにお節介なんです。あなたよりもちょっと、お節介。他人に余計な口出しをしたがっている。  もういい歳の大人なんだから、大人が自分で決めたことに他人がとやかく言うものじゃないよっていうのはよく分かるし、みっともないことだとわたしも思いますよ。けれど、やっぱり親しい人が失敗したり故障したり破滅したりするの、苦しいですよね。  たぶん、あなたも経験があると思うんですけれど、わたしたちぐらいの年代になってくると、だいたい何人かは 持っていかれる じゃないですか?  わたしたちが生きているこの社会には、なんだかよく分からないぽっかりと開いた黒い洞みたいなものがあって、その穴ぼこに不意に誰かが吸い込まれてしまうんです。人格を丸ごと持っていかれてしまう。突然に、話がまったく通じなくなってしまう。わたしと話をしてくれなくなってしまう。  地味で面白味には欠けるけれども真面目で安心できる感じだった子が、久しぶりに会ってみたらなんだかとてもポジティブで元気な感じになっていて、ああそれは喜ばしいことだなと一瞬だけ思うのだけれど、カニの甲羅から抽出したという触れ込みの健康食品を売りつけようとしてきた段になって、ようやくわたしは気付くわけです。  ああ、この子も持っていかれてしまったのだと。  独立してお店を始めたという噂は聞いていて、いつか顔を出さなきゃいけないなーと思っていたら、結局お金のゴタゴタで店も潰した挙句に連絡も取れなくなってしまった子とか、話を聞く限りではもう擁護のしようもないくらいに最低なんだけれど、でも、その最低最悪のクズ人間が、どうしてもわたしがよく知る優しくてよく笑うその子と結びつかない。  カスの山師みたいなうさんくさい年上の男と不倫をしはじめ