寝る直前まで活字を読んでないと寝れない病

 表題の通りなんですが、中学生くらいの時から寝る直前まで活字を読んでないと寝れない病を患っていて、毎晩寝る前に最低でも30分くらいはなにかしらの活字を読んでるんですね。で、あ~眠くなってきた。もう寝るな。あ~寝る寝る~ってなって、最後の力でスタンドの電気を消してそのまま沈み込むみたいに眠れたら入眠成功なんですけど、待ちきれなくてちょっとタイミングを間違えるとしばらく暗闇の中で悶々とした挙句にまた電気をつけて眠気がくるまで活字を目で追う羽目になるのです。なので、いつスタンドの電気を消すかっていうところの攻防が毎晩あって大変なんですけど、えっと、なんの話だったっけ?

 あ、そうそう、寝る直前まで活字を読んでないと寝れない病で、そんなわけで習慣として毎日必ずなにかしらの活字を読むっていう生活をもう何年もしてるわけなんですけど、じゃあそのぶん人よりも読書経験が多いかというとたぶんそういうこともなくて、寝る直前に読む本って未読の本はダメなんですよ。面白かったら寝れなくなっちゃうから。なので、毎晩もう内容もほとんど全部覚えちゃっているような本をダラダラと読んでいるだけで、新しいインプットってほとんどないんです。

 たぶん、脳のアイドリングが高いんですよね。自動的にいろんなことを考えちゃって、なにも考えないというのが苦手なの。しかも、寝るために電気を消して暗闇の中で目を瞑って脳のアイドリングだけ高いと、一瞬でネガティブに入るわけなんですよ。だから、毎晩の入眠チャレンジが本当に大変なんです。うまいこと自分をコントロールして眠りに誘導しないといけなくて。

 で、基本的にわたしの本の付き合い方ってそういう感じだから、別に面白い話が好きとかじゃないんですよね。どっちかっていうと、語り口とか居心地みたいなののほうが気になる。読者との距離が近いっていうのかなぁ、なんか、仲の良い人が喋りかけてくれてるみたいな文体最高じゃないですか。あ、だからわりと小説よりもエッセイのほうが好きかも。村上春樹もね、小説だとなんだかいけ好かないおじさんだけど、エッセイはわりと憎めない感じでいいですよ。なんか「村上くん」って感じしちゃう。本って年代を超えてしまうものだから、どれだけ年上の人でもやっぱ昔の本を読むと「村上くん」なんですよね。そういうのもほら、なんかいいじゃないですか。おすすめは「やがて哀しき外国語」と「遠い太鼓」です。なんかすごい「村上くん」って感じ。高校のときのクラスメイトの近況を聞いてるみたいな親しさで良いです。

 で、本当のところなんの話をしたかったかっていうと、講評とかするときにね、なんていうか、そういう文の親しさみたいなのがわたしにハマるとものすごい理不尽な加点をしてしまいがちなので、だからわたしがなんか言っててもあんまり気にしないでねみたいなところもあるし、自分はたぶんあまり冷静に小説を講評したりできるタイプではないんだろうなぁみたいなことをちょっと思いました。でもモノホン大賞はそれぞれに個性も好みも違う三人が講評をつけるので、トータルとしてはわりと公平性は担保されてるんじゃないかなぁとか。

 まあいいや。

 親しい人に喋りかけるみたいな小説を書きたいね。書いていきます。

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