だからみんなとりあえずゴリラ小説とか書いてみればいいんだよ。

 特になんのエクスキューズもなしにゴリラとかゴリラ小説とかいう語をぽこぽこ使っていたせいで不幸な事故などが起こっている可能性もあり、わたしの周辺で頻繁に話題にのぼるゴリラという概念について説明しておいたほうがいいのかなぁと思ったのだけれども、この場合のゴリラという語はテクニカルタームであってゴリラそのものではないんだよね。なんとか別の語で説明できないかというチャレンジを以前に秋永先生もしておられたのだけど、これは皮膚感覚で感じ取っている人にとっては「ゴリラだよね」って感じでゴリラでしかないから、ゴリラ以外の語に置き換えて説明しようとすると、それはそれで本質を捉えてないような気が無限にしてくるから難しいのです。だからとりあえず感覚的に分かるまでゴリラ小説を書いてみればいいよ。(←これが本当の結論)

 で、なんとか別の語で説明しようとすると「物語ブレイカー」みたいな概念になるのかな? と、わたしは思うんですけど。

 やっぱお話を作るときって、自分で考えてはじまりから中盤の展開からオチまで考えるじゃないですか。もう全部じぶんの自由自在です。なにを書いてもいいんです。でも、そうやって自分でイチからジュウまで考えた話って、結局は自分の器の範囲を出ないというか、手の届く範囲で収まってしまうわけで、それで面白い話がちゃんと書けるのは器じたいが異常に大きい人かダルシムしかいないわけです。自分の器を超えた物語を作らないことには凡人は戦っていけないので、ガチャりましょう。ギャンブルをするのです。

 さて、ここに自分でイチからジュウまで考えて書いた話があります。ちゃんと整合はしているんだけれど、なんかちょっと一味足らない気がします。そういうものです。

 じゃあ、ゴリラを出してみましょう。
 ゴリラが出ましたね。書かれてしまったことはもう覆せませんから、そこから先はもうゴリラはいるものとして続きを書いてください。


 ゴリラを出してどう収拾つけるんだよ!? って思うじゃん? それを今からお前が考えてどうにか収拾をつけるんだよ!!!! というのがゴリラ概念です。別にゴリラである必要はないのですが、思いつかない場合はとりあえずゴリラを出してみればいいです。自分の物語を自分自身で壊して、そこからなんとかゴリって収拾をつけて着地をキメてください。なお死して屍拾うものなし。死して屍拾うものなし。

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