四の五の言わずにせんせいのお人形を読めよって話
たびたびタイムラインで言及しているので大澤のフォーロワーアーならタイトルを目にしたことぐらいはあるのではないかと思うのですが、comicoで連載している「せんせいのお人形」というのがもう本当に素晴らしいのでこんな記事を読んでいる暇があるなら今すぐ読んできなさい。
どうせ妙にひねくれているお前のことだから、そう言われてすぐに素直にリンクを開いてcomicoに飛んで「せんせいのお人形」を無料で読める範囲は全部読んで読んでしまって無料レンタルチケットみたいなしゃらくさいシステムなんかしゃらくさいと一挙に課金して最新話まで一気読みしたりはしないのでしょう。そんなことだからお前は結局のところお前ごときでしかないのだ。人が読めと言っているのだから四の五の言わずに読んでみれば良い。
どうせアレでしょ? スマッホンのアプリの漫画なんでしょ? とか、でもどうせ女性向けなんでしょ? とか、そんな百億年前の偏見に凝り固まったような理屈でアレコレ四の五の言うばかりで、人が「これは良いものだから読め」と言っているものを試しに読んでみもしない、そういう素直さに欠けた捻くれた態度をとることが「賢い」のだと勘違いしている、お前のそういうところが完全にどうしようもなく救いようがないと言っているのです。
「せんせいのお人形」に女性向けだの男性向けだのというカテゴライズは無意味です。なぜならこれはお前に向けられた物語なのだから。
お前がもしも人であるならば、今すぐ「せんせいのお人形」を読むべきです。これはすべての人に向けられた普遍的な物語なのだから。
お前がもしも人であろうと足掻いている者ならば、ただちに「せんせいのお人形」を読むべきです。これは、そういった人にこそ読まれるべき物語なのだから。
お前がもしも人であろうと足掻くことすら諦めてしまった者ならば、なにを差し置いても「せんせいのお人形」を読むべきです。これはまさしく、お前のための物語であるのだから。
お前がもしも田中非凡であるならば、とにかく読んで打ちひしがれてこい。自らの設定したテーマと真剣に向き合い格闘するとはどういうことなのか、作品の真の深みとはどういうものなのかを知ってくるといい。
まあそんなわけで、四の五の言わずに「せんせいのお人形」を読めばいいよ。で、なにがすごいってさ。やっぱじぶんは小説書きなので小説と漫画の特性の違いみたいなのを気にするんだけど、「せんせいのお人形」は基本的にスミカに寄り添った視点で話が進むはずなのに、わりと大事なところでスミカの心理描写というのが(直接的には)ないのですね。なにを考えているのか分からない。嬉しいとか悲しいとか悔しいとか、そういうモノローグがないわけです。読者は周辺的な描写から、そこを推測していくしかないんですけど、これはどういうことかというと、(序盤においては)スミカはまだ自分自身の感情すら言語化できていない。つまり、正確に捉えることができていないということで、まず嬉しいとか悲しいとか自分がどう感じているのかが自分で分かるようになるというところからなので読者のほうが逆に「嬉しいんだよ! あんたは今それ嬉しいんだよ!!」ってなるような(超早口)(ry
や、まあとりあえず面白いので読むといいよ。
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